2024年04月04日

国指定重要文化財にもなる有名茶釜がある!その茶釜を解説

約100万人の愛好家がいるといわれる茶道は、日本が世界に誇るわび・さびの文化で、閑寂(かんじゃく)・清澄(せいちょう)な世界を現わしているそうです。またお茶はおもてなし精神があふれ、いろいろな場面で細かい気配りがみられます。そのような茶道で使用する道具に「茶釜」があります。茶道のために進化した道具です。歴史的な逸品は国指定重要文化財になるものもあるほどです。本記事で有名な茶釜についてご紹介します。

1. 茶釜とは

茶道で使用される「茶釜」は、お茶を点(た)てるためにお湯を沸かす道具です。道具といえ、お湯の沸く音や湯気で茶会をひそかに演出しています。また、美術工芸品としての価値もあり、じっくりと観賞して、楽しむ価値を備えた茶釜も多くあります。 一般的に、茶釜の素材には鉄が使用されますが、金製や銀製に陶磁器製のものもあるのです。先日、黄金の茶道具一式がオークションで3億円の価格で落札されたというニュースもありました。

1-1. 茶釜には注ぎ口がない

茶釜は丸く大きな球形で、お湯を汲みだす口の部分は小さくすぼまっています。茶釜の大きさは幅があり、直径が30cmくらいから、大茶会用に100㎝程度のものまであるのです。茶釜にはやかんのようなお湯の注ぎ口がありません。茶釜から柄杓(ひしゃく)でお湯を汲み、茶碗に注いでお茶を点てるのです。 また、茶道では柄杓を使い、お湯を汲む所作も優雅に美しく振舞うことが求められます。茶会においては、一挙手一投足すべての振る舞いや所作が風流に通じ、茶道を極める方の見せ場になるのです。それほど茶の湯は奥深いものです。

2. 有名な茶釜の生産地

有名な茶釜の種類として、芦屋釜・天命釜・京釜の3種類があり、それぞれ生産地が異なります。芦屋釜は備前の国、現在の福岡県で製造されました。また、現在の栃木県にあたる、下野国佐野庄天命で作られた天命釜は重厚感が特徴です。京釜は当時の都・京都で作られたん茶釜です。この章で3種類それぞれを詳しく紹介します。

2-1. 芦屋釜

「芦屋釜(あしやがま)」は鎌倉時代初期に、筑前国芦屋(福岡県遠賀郡芦屋町)で生産が始まり、室町時代に盛んに作られました。その後、江戸時代に途絶えています。鋳鉄製ながら薄く作られたことで軽いのですが、重厚感があります。 芦屋釜は口から胴の部分のなだらかな曲線が特徴で、美しい真形釜(しんなりがま)の形状です。胴の部分には亀甲や花鳥に山水などの文様が描かれて、京の貴人たちに好まれました。芦屋釜は品質のよさや芸術性の高さが認められ、国の重要文化財に8点が指定されています。このように芦屋釜の歴史は古く、現在では希少価値が高いため注目を集め、高額で取引されます。

2-2. 天命釜

「天命釜」または「天明釜」はいずれも「てんみょうがま」と読むのです。栃木県佐野市の下野国佐野庄天命で、発祥は平安時代とも、天慶年間(938年~947年)ともいわれ、古くから生産されていました。天命釜は独創的な造形で、荒々しさ感じられるデザインで、粗く素朴な鋳肌が特徴です。天命釜は文様が多くなく、逆にその素朴な趣が好まれたのです。

2-3. 京釜

「京釜(きょうがま)」は、京都三条釜座で室町時代末期から江戸時代にかけて作られた茶釜になります。京作とも称されます。肌が滑らかで無文なタイプや、シンプルであっさりした文様の釜が多く、茶釜の細部まで精巧に造られているのが特徴です。京の都にふさわしい優雅さが感じられます。 当時から茶の湯が盛んな地域だけに、高貴な茶人たちの難しい要求にも応え、独自に創意工夫も行ない、さまざまな形状や表現が施された茶釜もあります。以上、3地域で製作された茶釜が有名なのです。

3. 有名な茶釜職人

茶釜を鋳る職人を釜師(かまし)といいます。茶道の茶釜の製作技能者で、室町時代の末期ころには専門工が出現しています。なかでも、有名な釜師が安土桃山時代の西村道仁と、辻与次郎です。二人について以下で詳しく紹介します。

3-1. 初代西村道仁

初代西村道仁の生没年は不詳です。西村道仁は西村家の始祖であり、京都三条釜座(かまんざ)に住んでいました。通称で国次(くにつぐ)と呼ばれていたそうです。織田信長もその技術力を認め、「天下一」の称号を与え、自身の御用釜師として寵愛していたようです。道仁の在銘作品は、1593年(文禄2年)の銘がある京都市本国寺の鐘や、1606年(慶長11年)の銘がある京都市妙蓮寺の鉄燈籠が現存しています。 西村道仁は、室町時代末期の高名な茶人・武野紹鴎 (たけのじょうおう) の釜師としても活躍したと伝えられています。紹鴎好みの釜「さくら川」を作ったといういい伝えがあり、千利休の釜師である、辻与次郎の師としても知られているのです。

3-2. 辻与次郎

辻与次郎は近江国高野庄辻村(現在の滋賀県栗太郡)の出身で、西村道仁の弟子と伝わっています。桃山時代に、道仁と同じように京三条釜座に住み、豊臣秀吉が天下一と号した釜師です。千利休好みの丸釜・阿弥陀堂釜・雲竜釜・四方釜など、新しい形の文様や肌合の釜を創始しました。 また、錆ついてしまった茶釜を再び火中に入れて錆びにくくする、焼抜きの技法を創始したと伝えられています。さらに炉に掛けるための釜の羽を鋳造後に打落して、古作の釜のような古びた風情をだす「羽落」などの技法も用いています。このように茶釜の革新者であったことがうかがい知れるのです。

4. まとめ

以上有名な茶釜や、有名な茶釜の作家・釜師について紹介しました。茶釜は単なるお湯を沸かす道具から、芸術性や美術工芸品としての面が進化し、当時の権力者にも認められ、大きく発展していきました。また、わび・さびの茶道精神を具現化した面を持ち合わせた茶釜も多くあります。 「アート飛田」は、兵庫県西脇市上野にある、創業から88年の骨董店です。近代美術工芸・絵画・茶道具・古美術品などの美術作品全般の販売や買取を承っており、茶釜も取り扱っております。当店は長年にわたり、皆様からの信頼をいただくよう、作家保証はもちろん、無キズ保証も徹底しているのです。近年は、インターネットも駆使し、日本全国の皆様にご対応いたしております。古美術品についてどのようなことでも当店までご相談ください。